過ぎていた誕生日
この度の東日本大震災において、お亡くなりになった方々に対し、心より哀悼の意を示します。
命からがら生き残りその後不自由な避難生活をすごしていらっしゃる方々や安否確認のできない方々に対しても、大変な状況ですが「生き抜くこと」こそが明るい希望・未来が開けると信じております。
一日も早い復興を願わずにはいられません。
東京電力の福島第一原発についてはチェルノブイリ事故のような最悪な状況は免れていますが、依然予断できない状況です。
緊迫した事態の中、決死な覚悟で職務についている東電社員の皆さま、自衛隊の皆さま、警察の皆さま、その他関係者の皆さまに、技術系サラリーマンとして最大限エールを送りたいです!頑張って下さい!!
原発の存続についてはいろんな意見があると思いますが、今は「沈静化」することだけに注視していただきたいものです。
さて、3/11東日本大震災の際、私は現場から戻り事務所に戻り業務整理をしていました。
大きくかつ長い揺れた時、急いで机の下にもぐりこんだおかげで、倒れこんできた戸棚から身を守ることができました。
揺れが終わった後、妻子の安否を確認して大丈夫という声を聞いたときは心の底から良かった!と安堵しました。
妻子には余震ので引き続き警戒するよう伝えた後、昨日3/18まで会社に泊まりこみ、インフラの早期復旧のため自分がやれること(仕事ですが)を精一杯やったつもりです。
約1週間ぶりに帰宅したとき、妻と息子の笑顔に迎えられたとき、目頭が熱くなりました。
電話では安否は確認していましたが、実際に会えたときの方が何十倍、何百倍も嬉しかったです。
簡単な食事を済ませた後、妻から「3/14ってパパの誕生日だったんだよね?」
インフラ復興(仕事)しか頭になかったので、私自身の誕生日を忘れていたんでしょうね。
息子が「パパおめでとう」と言ってくれたときは涙腺がゆるくなり、急いでトイレに入り泣いていました。
(堰を切ったかのようにボロボロ涙が流れていました。)
もの凄く感動したのだと思います。
「妻子が無事であることが最高の誕生日プレゼントだよ」と伝えたしなのでした。