自粛はほどほどに。

千葉ベイエリアではあともう少しでインフラが復旧しそうです。
先週末で電気・ガス・上水道は復旧(仮工事)できようです。しかし下水道がまだ追いつかない状況。。。
我孫子(あびこ)・佐原という地域も利根川沿いということもあり液状化でご苦労しています。
また銚子から九十九里辺りまでは津波の影響で浸水・家屋倒壊が多く、仮工事すら手をつけられないようです。
何も不自由なく生活できている私どもとして房総半島の一部の住民の方がご不便されていると思うと、申し訳ないというか何というか。。。

さて、先週3日間会社の指示で宮城に行ってきました。
電力会社?が「電気を送れるところは送電したい」という呼びかけがあり、私の勤務している会社にも協力依頼があったようで、私はたまたま電気系の資格を持っていたことから人選されたようです。
自分の職場については?と上司に聞いたところ、東京や埼玉から応援していただけるから大丈夫だ。お前の力で少しでも東北地方の復旧に寄与して欲しいという業務指示でした。
余震が続いている中、正直聞いた瞬間は戸惑いました。(身の安全が確保できるかな等々)
業務指示の後、すかさず妻にその旨を話をしたところ「それは心配だけど、パパしかできないことだから3日間だけ行って頑張ってきて」と勇気つけられました。

現地の本部に着いたときは、先陣の方々から歓迎していただき、翌日からの作業内容など指示を受けました。
そして私達のミッションは、一戸ずつ漏電チェックしてまわり、漏電していなければ送電することでした。
日が昇ったと同時でしょうか総勢100人程、割り振られた地域で活動し、午後5時になったら本部に戻る。
とにかく一戸ずつ測定していき、漏電している回路をブレーカー操作(入切)で探し、送電するといった地道な作業です。
特に問題として多かったのが、ポンプが使えない→水道や井戸水が使用できないことでした。
「あなた電気屋でしょ!何とかして!」という要望もあった一方、「この部屋だけど電気がついてホッとするよ」という暖かい言葉も頂きました。
とにかく周りの風景は気にしない(悲惨すぎる)で、一戸でも多く測定することに徹しました。
結果的に私は約250戸(集合住宅含み)周り、3日間の作業を終えて房総半島に帰ることになりました。
技術屋としてやり切れないところはありましたが、無事に帰れて内心ホッとしています。

あと被災されて方から多かった言葉として、
・被災されていないところは元気にやって欲しい。日本全体を元気にして下さい。
・自粛ばかりしないで!私達の分までワイワイ楽しんで、日本の経済を活性化して欲しい。
ありがたい言葉であると同時に、これは被災していない国民の使命だとも思いました。

冒頭に「申し訳ない」と書きましたが違ってました。
我が家での当たり前の生活を支えると同時に、レジャー等も含めちょっぴりですが暮らしを豊かにしていこうと思うしなのの日記です。
  


2011年04月09日 Posted by 信濃 太郎 at 16:20Comments(0)