技術屋として

TDLの開園に続き、TDSの再開。夜のエレクトリルパレードもゴールデンウィークからは実施されるようです。
房総半島にとっては元気な源。たくさんの方のご来場を千葉県民として心から歓迎させていただきます。
これで東京ディズニー関係箇所は復旧したといってもいいでしょう。しかし周りの住宅街が。。。

まだ下水道が復旧していない箇所がまだまだあります。
一般的に下水道といっても、市のものと、建物(住宅やビル)の所有者によるものの二つに分けられます。
端的に言えば、道路の下にある下水管は市のもの、道路から住宅へつなげる下水管は個人もちというところです。
市の下水管は後もう少しで復旧できそうですが、個人もちの部分についてはまだ先が見えません。。。
技術屋としては、少しでも早く不便な生活を解消させたい気持ちが強いですが、そちらに力添えすることができません。
何故かと言うと、まだ房総半島のあちらこちらでインフラが満足に行き渡っていないため、そちらに全力を尽くしたいため(それが仕事ですが)。また理系のオヤジですが、専門外の知識が必要なためお力になれないためです。

世間では、工事現場などで作業されている方々に対して、「おバカだから肉体労働している」と思っている人、きっといると思います。
まぁ半分は仕方ないかなと思いますが、作業に全力を注いでくださっている方々を見下すのは許せない気持ちもあります。
私も若いころは邪な思いはありましたが、技術屋として気持ちが変わりました。
「作業員なくして国は支えられない。技術なくして日本の繁栄はない」
これは私の勝手な持論ですが、地味ですが技術屋として一つ一つのこと(作業)を確実に行い、少しでも被災されている皆さまに普通の生活に戻れるよう努力したいと思うしなのの日記でした。
  


2011年04月24日 Posted by 信濃 太郎 at 16:02Comments(0)

宣伝の効果

TDLの開園。マジ良かったです!
まだまだ至る所で液状化の影響で完全なインフラ復旧は難しいですが、房総半島にとってはとても嬉しいニュースです。
きっとミッキーがたくさんの方々に夢を与えてくれるでしょう。

さて、先日(4/12)の朝、最寄の駅から電車に乗り会社に向かおうとした時のことです。
携帯電話から地震警報が鳴り出し(ピュッ×3)、車内放送で地震発生につき緊急停車しますとアナウンスがあり、その後停車と同時に車窓から古い家屋の屋根瓦が割れたり、建物自体が揺れている様子を見ていました。どうやら震度5位の大きな余震だったようです。
不思議と車内にいた私達はほとんど揺れを感じませんでした。まぁ電車は通常運転中でも揺れるので、必然的に車体のバランスを確保できるように設計・作成されているからだったのでしょうね。
その後、安全確認するためこの場で停車しますというアナウンスがあり車内に閉じ込められた状態で成り行きを待つこととなりました。安全が第一だから仕方ないことと割り切り、まず家族の無事確認をし、会社にも遅刻する旨報告をしておきました。
10分、20分。。。1時間位経過した後でしょうか、安全が確認できませんでしたのでお客さまには降車していただきます。
停車した場所から会社までは徒歩で15分くらいの場所だったこともあり、「おい、そうだったら早く降ろせ!」って内心思ってしました。

しかし周りの方々からはそのような邪な言動はほとんどありませんでした。
乗車していた皆さんは、地震発生後も取り乱すことなく冷静に成り行きを待ち続け、降車するときも1箇所しかありませんでしたが順番を乱すことなく一人ずつ降車し、係員の指示に従いレールの上を歩行していきました。

結果して閉じ込められた時間と降車する順番待ちの時間を合わせて1時間半位かかりましたが、その間車内で感じたことは、日が差すと暑いのでブラインド下ろしましょうか?と言ったとき、座っていた方々からありがとうございますという言葉を頂いたり、近くに心配そうにしていた年配の方に隣の女性が声をかけていたり、普段はシャカシャカ音楽聴いていた学生さんもラジオにして情報を周りの友人に伝えてくれたりと車内環境はとても穏やかだったと思います。

ふと私はこれはあの宣伝のお陰ではないかと思いました。
それはACの「あいさつでみんな仲良くなれるね」というものです。
(「ありがとううなぎ」「いただきマウス」「こんにちワニ」「さようなライオン」ダジャレですけど大好きです)

今放送されているCMの中には趣旨がよくわからないものもありますが、このCMは日本人にとってとても大事なものだと感じたしなのの日記です。

  


2011年04月16日 Posted by 信濃 太郎 at 14:51Comments(0)

自粛はほどほどに。

千葉ベイエリアではあともう少しでインフラが復旧しそうです。
先週末で電気・ガス・上水道は復旧(仮工事)できようです。しかし下水道がまだ追いつかない状況。。。
我孫子(あびこ)・佐原という地域も利根川沿いということもあり液状化でご苦労しています。
また銚子から九十九里辺りまでは津波の影響で浸水・家屋倒壊が多く、仮工事すら手をつけられないようです。
何も不自由なく生活できている私どもとして房総半島の一部の住民の方がご不便されていると思うと、申し訳ないというか何というか。。。

さて、先週3日間会社の指示で宮城に行ってきました。
電力会社?が「電気を送れるところは送電したい」という呼びかけがあり、私の勤務している会社にも協力依頼があったようで、私はたまたま電気系の資格を持っていたことから人選されたようです。
自分の職場については?と上司に聞いたところ、東京や埼玉から応援していただけるから大丈夫だ。お前の力で少しでも東北地方の復旧に寄与して欲しいという業務指示でした。
余震が続いている中、正直聞いた瞬間は戸惑いました。(身の安全が確保できるかな等々)
業務指示の後、すかさず妻にその旨を話をしたところ「それは心配だけど、パパしかできないことだから3日間だけ行って頑張ってきて」と勇気つけられました。

現地の本部に着いたときは、先陣の方々から歓迎していただき、翌日からの作業内容など指示を受けました。
そして私達のミッションは、一戸ずつ漏電チェックしてまわり、漏電していなければ送電することでした。
日が昇ったと同時でしょうか総勢100人程、割り振られた地域で活動し、午後5時になったら本部に戻る。
とにかく一戸ずつ測定していき、漏電している回路をブレーカー操作(入切)で探し、送電するといった地道な作業です。
特に問題として多かったのが、ポンプが使えない→水道や井戸水が使用できないことでした。
「あなた電気屋でしょ!何とかして!」という要望もあった一方、「この部屋だけど電気がついてホッとするよ」という暖かい言葉も頂きました。
とにかく周りの風景は気にしない(悲惨すぎる)で、一戸でも多く測定することに徹しました。
結果的に私は約250戸(集合住宅含み)周り、3日間の作業を終えて房総半島に帰ることになりました。
技術屋としてやり切れないところはありましたが、無事に帰れて内心ホッとしています。

あと被災されて方から多かった言葉として、
・被災されていないところは元気にやって欲しい。日本全体を元気にして下さい。
・自粛ばかりしないで!私達の分までワイワイ楽しんで、日本の経済を活性化して欲しい。
ありがたい言葉であると同時に、これは被災していない国民の使命だとも思いました。

冒頭に「申し訳ない」と書きましたが違ってました。
我が家での当たり前の生活を支えると同時に、レジャー等も含めちょっぴりですが暮らしを豊かにしていこうと思うしなのの日記です。
  


2011年04月09日 Posted by 信濃 太郎 at 16:20Comments(0)